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22歳からの減量 最終話
既に1位、2位 が確定しており、残すはS・ともやと下黒澤海里の勝負となった。
下黒澤はピザ事件から真剣に減量に取り組んでおり、私と同じジムに通っているということもあり、合同トレーニングを行うことも多々あった。
そんな中、神戸でひとり孤独に減量に取り組んでいるS・ともやは未知数であった。
時間だ。
遂にゲームマスターが伝票を手に取る。。。。。。
目を瞑り、ゲームマスターに利き手を差し出す、二人。。
刻みに震える指先。。。
しばしの沈黙、、、
そして。
その伝票は ほんのりと色白い漢の
右手に静々と手渡された。
その伝票は、2ヶ月近く握り続けた
ダンベルよりも重く、そして明瞭に、残酷に、負けを確信させた。
最下位は
彼だった。
彼は奮闘した。
自分の犯した過ちを必死に償おうと、
一人だけ辛いトレーニングもこなした。
だが、これが減量の厳しさ。日々の努力が如実に現われる。
これが、ボディメイクだ、これが筋トレだ。
彼は文句一つ言わずに7万円近い伝票をその手に持ち
会計へ向かって行った。
その背中は減量前とは見違えるほど大きく
着実に漢へ近づいていることがわかった。
ありがとう下黒澤、ありがとう。
牛牛
今回の減量は
H・ゆうせい
が管理することによって4人全員が減量することに成功した。
減量に興味がある人がいたら、私に連絡をください。
友達には優しくないですが、友達の友達にはおそらく優しい
H・ゆうせい
です。
彼もトレーナーなので課金制にはなってしまうとは思いますが、確実に痩せることができ、まだ見ぬ自分に出会うことができます。
ありがとうございました。
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22歳からの減量 5
今回は最も成果の出せなかった「漢」が言い訳なしで
その他の減量メンバー + H・ゆうせいに焼肉を奢るという
👊RIZIN👊
ルールで行ってきた。
結果発表をされる舞台は、某YouTuberも御用達
西麻布にある「牛牛」だ
牛牛では22年間見たこともない、味わったことのない
肉を堪能することができた。
こんなにも贅沢な食事をしていると
もう学生ではなく、社会人になってしまったんだ。。。
という物悲しい感情に苛まれた。
全ての食事が終り、会計の時間になった。
ここでのゲームマスターはH・ゆうせい。
H・ゆうせいによる 厳格な審査の元順位が決定される、、、
❇︎ H・ゆうせいがトレーナーという職務を遂行して、ノーリスクでひとりだけ
1万5000円程の焼肉を食べていることに関しては誰も突っ込んではいけないという暗黙のルールがあった、、、
1位から順番に発表されて行き、最下位の人間には伝票が手渡されるという
芸能人たちが学ランを着て食べ物の値段を言い当てる番組をイメージしていただくとわかりやすい。
そしてついに結果発表。。。。
堂々の一位は
O・カンタ!!!!
彼は ひとりだけ減量ではなく増量を目標にやっていたが
体脂肪を上げずに純粋な筋肉量が6キロ近く増えていたのでそれが勝利の要因になった。彼は単純に強かった唯それだけだ。
そして第2位は。。。
デンプシーミキト!!!
惜しくも一位を逃してしまったデンプシーミキト。体重はマイナス10キロ減!!
体脂肪率は元々の数値が高かったせいもあるが マイナス9%!!目標を達成することができたので、よかった。
一番のポイントはトレーナーの指示に忠実に従ったことと「薬」 に頼ったところが今回のポイントだと思う。
詳しい内容はH・ゆうせいジムのコンプライアンス違反にならない程度に、減量初心者ながら後日まとめさせていただきます。
次回、高額焼肉を奢ることになる
漢が決まる。。。。。。。
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22歳からの減量4
新しい環境下の中で時間を作り。ひたむきに減量を続ける御歳23歳の戦士たちは
着々とそれぞれの目標に向かい、走り続けてた。
そんな中、減量をスタートして1カ月が過ぎようとしたある日、メンバー内に激震が走った。
最も気性の荒いメラゾーマともやが
。。。。。神戸に転勤が決まってしまった。。。。。。
地元のメンバーが悲しんでいると😭😭😭
そんな中ひとりだけ ほくそ笑んでいる男が一人。
そう、お察ししている方も多いと思う。
下黒澤だ、、、、
イタリアン事件発覚から数週間経った後
彼もまたひたむきにトレーニングを重ねていた。
しかしここで、トレーナーのh・ゆうせいから一番のライバルである s・ともやが離れる事は
願っても無いチャンス!!!
ここから下黒澤海里の逆転劇が始まる。
彼は皆との遅れを取り返すために
一番きついと言われる有酸素運動を続けた。
とにかく走った、とにかく汗を流した。
彼なりに全力で減量に取り組んだ。
そして月日は流れ、、、
体重計測結果発表日
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22歳からの減量 3
減量が始まり、1週間が経った。
覚悟はしていたが減量を始めて最も辛いことは、好きな物を
食べられないということだ。
(これは減量まえに週一以上で食べ続けていたラーメン)
多量のカロリーをエネルギー源に生き続けてきたこの22年間。
食事制限は凄惨を極めた。
しかし、これがなんと
不思議なことに2週間をすぎると食事制限が苦ではなくってくる。
なんやかんやで始めて1カ月が経とうとしたある日。。。。
大事件が起こる
減量メンバーでもある「下黒澤海里」が
某ソーシャルネットワークサービスに女の子と
「ディナーしてきた笑」的な匂わせ投稿&減量中に絶対にやってはいけない
「高カロリーイタリアンを貪っていたのだ」
これよってトレーナーh・ゆうせいから「俺も仕事でやってるからさ」と
軽いお叱りお受けた下黒澤海里は、これを最後に真剣に減量に取組み始めた・・・・・・・・
22歳からの減量 2
第1章で
H・ゆうせい
からの誘いにまんまとハメられてしまった
22歳卍の代、男4人は
人間三代欲のうちの一つ
【食欲】
を絶つ苦しみがどれだけ辛いものなのか
まだ知る由もなかった、、、、。
ここで、この2カ月間過酷な減量を一緒に乗り越えた
仲間たちを紹介したいと思う。
①
S ともや
スポーツ観戦好き。
普段は温厚だがアルコールを体内に入れるとたちまち人が変わったかのように
暴れまわる。
彼のバーサクモードで何人もの地元住民が被害を被っている。
噂によると手に持った白い筒状の先端から「メラミ」を飛ばしてくるらしい
地元のメンバーからは
眠れる暴君(スリーピング・タイラント)
と呼ばれている。
②
O かんた
カメラや動画編集好き。
彼はグループ1温厚だと言っても過言ではない。
カメラを買うためにアルバイトで月ウン十万稼ぐ一面も
持っている。しかし、貯めたお金はその月の機材費に消えてしまう。
彼の力が働いてヤ○ダ電機の売り上げが右肩上がりになっていることは
言うまでもない。
今はカメラマンを目指して奮闘中。
③
下黒澤 海里
彼は小、中、高、と基本的にはいい奴だったが
大学生になり突然「獣神化」してしまった。
いわゆる パーリーピーポーになってしまったのだ。
一刻も早く下黒澤海里にパッチ修正を導入して欲しいものだ。
次回からはしっかり話も進めていくので
何卒よろしくおねがい致します。
👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻
新章 22歳からの減量
半年間 もブログを更新していませんでしたが
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
社会人になったということもあり、新しいアカウントでブログを更新していこうと思います。
この前までのアカウントは大学生時代のことを綴っていて
見返す度に虚無感に苛まれるため閉鎖したというのが本当の理由です。
今回は。今回こそは!!
1週間に一回以上更新したいと思っているので何卒よろしくお願いします。
社会人になって最初のブログ内容は半年間温めるに温めたネタを出す予定でしたが、何を書こうとしたか忘れてしまいまいました。
なので
今回「夏」とは全く関係なく
私が死に物狂いでおこなってきた、減量2カ月間の軌跡をこのブログに綴っていきたいと思います。
〜第1章〜
減量沼開始
社会人になった私は何かもの足りなさを感じていたのかもしれない。
そう。
そこに彼はつけこんできた。
これからお話するのは惨虐かつ非人道的な
トレーニングを受けた20代男性4人の物語・・・・
H・ゆうせい
「一人で減量するより、全員で減量した方がおもろいべ!!」
彼のその言葉から地元メンバー7人中4人が収集され、減量と言う名のタンパク質をタンパク質で洗う戦いが始まった。
これが仲良しこよし「みんなで痩せようね!」
なんていう可愛らしいものではない。
ただのダイエット企画ではなかったのだ
ダイエットに励む4人のうち最も成果の出せなかった人間がH・ゆうせい含める5人に焼肉を奢るというもので
しかも、、、、
「木六本」の焼肉だ
「やべぇぇぇ、、、」
「とんでもないゲームに参加しちまったぁぁぁ」
第1章はここまでにさせていただきます。
またすぐ、第二章の方を作成したいのでよろしくお願いいたします。
話は全く変わりますが、質問箱の面白い質問に対して
ツイッターでは文字数制限があるため、深くまで答えられませんでしたが
ブログの方で答えていこうと思います。